きたがわ・さくら。父は童話作家,母はお菓子研究家。私立和光学園中高をへて国立音大声楽科卒。二期会オペラスタジオ研究科卒。
二期会オペラ会員。数多くのオペラ、ミュージカル、ディナー・ショウに出演。ヨーデルでは93年スイス留学、マリー・テレーズ女史に師事。94年からドイツ、ミュンヘン留学数度。インゲ・ワルター女史、オットー・ビアサック・マリアヘルヴィッツ女史、タケオ・イシイ氏に師事。全国各地で学校上演、子ども劇場親子劇場ホール公演のほか、自治体、企業イベント出演。東京・恵比寿ガーデンプレイス「フェストブロイ」(月水金6時30分から3回)レギュラー出演中。「好きだから音楽、音楽を通して社会とつながる」と。日本でただ一人の女性ヨーデラー。「大草原の小さな家」「星の王子さま」「モモ」を愛読。

いろいろな可能性の中から音楽を職業に選ぶ。


今、五年前に結成したエーデルワイスムジカンテンで、音楽活動を続けています。植物のエーデルワイスはヨーロッパアルプスなど高山に自生するキク科の多年草で清純、清楚というイメージです。 このあいだ親子劇場こども劇場が連続上演した、ヨーデル・民族舞踊・詩の朗読・プラス演奏構成ステージ『アルプスの音楽隊』(北川幸比古作構成九十分)の舞台用に、東京で造花を探したら、ちゃんとカタログに載っていました。その花束を持って「エーデルワイス」を歌いました。ムジカンテンといえば、グリム話「プレーメンの音楽隊」の、音楽隊のもとの言葉がムジカンテンです。 三歳からピアノのレッスンをはじめ、小さいころから歌うのが好きで、高校で合唱団、音大に行きました。なにをしろするなといわない、自由になんでもさせる親で、音大受験にも賛成でしたが、不合格と思っていたらしく、あわてて入学金をローンで用意したそうです。音楽を職業にするのかどうか、私自身はっきりしていませんでした。 絵を描くのも好きですから美大へ進んでもいいし、演劇に進んで俳優になってもいいし、地域で親子読書会に参加していて子どもたちが好き、そういう社会活動のりーダーもできるし、中学高校で農業体験もしたので農業関係に進んでもいい、などと漠然と空想していました。

それが今、ヨーデル中心でエーデルワイスムジカンテンはメンバー二十二人、ブラスをたてて三人から八人編成で全国の自治体や団体、学校に、アルプス音楽の「出前」をしています。


気がつくと、ヨーデルを歌うようになっていた。


音大では、クラシックの声楽一本、合唱団カンマーコールに所属して、国内各地へ、行脚、海外へも出ました。教職課程も取りました。合唱は楽しい、オペラもミュージカルも好きですが、中でも好きなのは、少年、少女役で出演して歌うことでした。「歌って役になる、」「色々の人生を生きる」ことは魅力です。自分がなにがをすると、そこに人が夢をみてくれるのは、すばらしいことです。 音楽へのががわり方を分けて、よい聴き手になるのと、演奏するがわになるのと、そういうことを次代に教えていくのとがありますが、私は出演して聴いてもらうのが好きで、それを職業にしたいと思うようになりました。流行の音楽には全く引きつけられなくて、それで、クラシック音楽の源流にどんどん入っていって、その一つであるアルプスの音楽に触れました。私は本を読み始めると、自分の部屋にこもって空想の世界を実感する読み方をします。そういう読み方で「アルプスの少女ハイジ」(シュピーリ)の世界を愛読していましたがら、アルプスの音楽がすぐに好きになりました。白い山々、青い空、その下でくらす人たちの、ー業、牧畜、林業の生活と音楽は、素朴で健康で明るくて、いい・・・気がつくと、ヨーデルを歌うようになっていました。しがし、ヨーデルは聴きたくても日本では聴く機会があまりながつた音楽でしたがら、なんどもアルプス地方にでがけては聴き、ヨーデルを教わりました。そして、アルプホルンや楽器クーグロッケンを日本にもつてきました。


歩いているだけで、人が夢を見られるように


クーグロッケン、牛の首につける鈴が楽器になるのなら、ワインの空きボトルも並べて〈ワイン琴〉になる、水道のホースやくりぬいた大根や人参も管楽器奏者に吹いてもらつて楽器になる、といろいろしています。ワイングラスを並べて演奏するグラスハープは、モーツァルトの時代にはやったと文献にあつたので、さっそく試してみたものです。研究の末、特別のクリスタルガラスでバランスのよいグラスを使うと澄んだ響きがします。ヨーデルも起源は魔除けが牛の鳴き声の真似だそうですが、澄んだ聴きです。アルプス地方の風景の中で聴いたヨーデルは、言葉がでないほどすてきでした。 アルプスの音楽は労働の後の休息の音楽です。笑つて身体をゆらし、踊ってという音楽の楽しみ方をします。のんびりしたり、ほっとしたりする時、優しい気持ちになってくれたらと思って、それを「フェストプロイ」などビアホールでもします。

ビアホールでしているのは、エーデルワイスの活動を大きく二つにわけるとその一つの「相手が欲しいものをだしていく」エンターテインメントです。媚びるのではなく、どう受け止めてもらうかが課題で、生活に根ざした力強いものでなくてはいけないと思っています。もう一つは、学校、鑑賞団体で演奏するコンサートです。これはメッセージがあるオリジナルな構成です。どちらも私たちは「メンバーが歩いているだけで、人が夢を見られるように」を合言葉にしています。ただ演秦すればいい、というのではなく、いかに「この音」で表現するかが課題です。もちろん暗譜で、身体表現のレッスンの取り組みもしています。ステージでは、私もメンバーも、現地で入手した民族衣装を着ます。その衣装で電車にも乗ります。ハンドベルの演奏も全員します。演奏外のバルーンマジック(編集部注:細長い風船で、動物などの形をつくるもの)、飴細工などもします。相手があっての音楽ですから、演秦技術の習練だけでなく、工夫をしていきます。そして、珍しいだけでなく、なんど聴いてもそのたびに新鮮で楽しいといわれて、音楽家が再生産にまわすだけの収人を得る市場性があるように、と思っています。


平成11年10月号音楽の友社、「教育音楽」より